先日、 天然染料のオーガニックコットンTシャツなどを作っている手染メ屋【京都】さんでTシャツを一枚買ってきた。次は白地のTシャツを購入して手染めを教えていただくつもり。お店で手染め講習を受けながら自分で染める。はじめてお店に伺い粗相をしてしまったけど、ご主人と奥様の応対に感銘を受けた。よいお店に出会えた。帰宅後、お礼のメールを書いた。
こういうお店を紹介するとき、「こだわる」を頻用する。もうずいぶん前から指摘されている話。こだわるは「つまらないことに心がとらわれて、そのことに必要以上に気をつかう」という意味でマイナスの評価に使う単語。それが、「細かなことにまで気をつかって味覚などの価値を追求する」と意味が変わり、プラスの評価に用いられるようになった。年配の人に使うときは気をつけたほうがいいのかもしれない(とこだわっている)。
天の邪鬼なので、「こだわる」を使わずに表現しようとこだわって、「拘泥する」を使ったりする。ところがで、「そういうところに拘泥すると」なんて言い回しを口にしたら、まれに相手は、鳩が豆鉄砲を食ったようになる。拘泥という漢字が思い浮かばないのかなと思い、そのままスルーする。漢字は絵画だと実感する瞬間。
この言葉ひとつとっても会話って難しい。書けば前後の文脈で理解してもらえるし、辞書を引けばおおよその意味は通じる。だけど、「こだわる」という単語を会話のなかで使うとき、発話する方は「マイナスの評価」で使ったとして、受け取る方は「プラスの評価」に受け取ることも想定できる。極端な会話かもしれないけど(笑)
誤解を回避するために今度は漢字を使うと、混乱を招き、事態はあにはからんや。
言葉に拘泥すると伝達の手段に使いにくくなるし制限されてしまう。かといって品のない言い回しは極力避けたいし、できれば最適な意味を選択できるような言葉にこだわりたい。アレ、なんだかよくわからなくなってきたのでおしまい。